明日もまた見せてくれるかな〜いいとも終了と慎吾スピーチへの所感〜

「タモさんこれからも、辛かったり苦しかったりしても笑っててもいいかな」

その言葉に間髪入れずに返された肯定の言葉は、問うた人を解放したのだろうか、さらに縛ったのだろうか。

いずれにせよ、メディアで見せた数少ない素の(素に見える)姿で香取慎吾というタレントが行った衝撃的なスピーチの幕引きとして、
そのやりとりはあまりに美しかった。

先日終了した笑っていいともの印象的な最終回については既に多くの人が名文を残していて、私はそれを読みながら何度も涙した。
別に特別いいともが好きだったわけでもないし、タモさんのことは子どもの頃から当たり前に存在するスターとして大好きだけれどもめちゃくちゃ詳しいとか思い入れがあるわけではない。
なのに番組の終了にどうしようもない喪失感と切なさを感じられたのは、出演者の本気の感傷とそれを受けるタモさんのブレのないフラットさが際立ち、ティービーショウしてとても興味深いものに仕上がっていたからではないだろうか。

今更私が何か書く必要など微塵も感じないのだが、テレビにここまで心を動かされたのはいつ以来、もしかして初めてかしら、という具合だったから、
必要性とか意味とか考えずに感じたことを残しておこうと思ったのだ。

ひょっとしたら香取慎吾という人も、私の中でタモさんと同じような場所に位置付けられているかもしれない。
ちょっとブラックで、何考えてるか分からなくて、でも抜群に面白くて格好いい、子どもの頃からの大スター。
大好きだけど、「ジャニオタ」として強く思い入れを持つことは何となくできない人だった。
常々何を考えているか分からない人が好きだと思っている私だが、分からなすぎても踏み込めないようで、香取慎吾はどのジャニーズタレントよりもずっと、確たる四角い箱の世界の生き物だった。

その香取慎吾が、少なくとも私は今まで見たことのない姿をテレビの中で見せた。
早口で、ハッとするような暗い眼をして、怒りすら滲ませて、何故番組が終わるのかと問うた。
びっくりした。いつも気怠い調子で壮大なマンネリの世界の登場人物を演じる彼が、その世界にそこまで執着していたなんて。

「何でも始まれば終わるんだよ」

スマスマでタモさんが言ったごく当たり前の言葉も飲み込めないほど聞き分けの悪い子どものようになってしまった香取慎吾を、
あの日あの時間フジテレビを見ていた人は驚きと感動とともに見つめたのではないか。ジャニオタも、そうじゃない人も、多分。

あれからあの時の香取慎吾を何かに例えたり分析する言葉が沢山インターネット上に溢れた。
この駄文もその一つになるんだろう。
どの言葉も、一度も香取慎吾と会ったことのない、会話を交わしたことのない私の心を動かし、それらはとても的を射た言葉に見えた。
同時に香取慎吾というタレント像が私達一般人にどれほど広く了解されているかを知った。

それらの言葉はどれも正しく、どれも間違っているのかもしれない。

あの数分間の心の叫びを私も含めた見ず知らずの人間に分析・解釈される。
私はたくさんの人たちの言葉に感動しながら、同時に腹も立った。
ほんの一瞬、香取慎吾というスーパースターを、とても哀しい存在だと思ってしまった。

だけどその哀しさなんてとっくの昔に飲み込んで、彼は四角い箱の中の世界で笑顔を見せてきたのだろう。

そういう想像を絶する環境で生きてきた彼を肯定できるのは、きっと限られた存在だけだ。タモさんのような。

余韻を引きずりながら、後日おじゃマップを見た。

当たり前に、見慣れた香取慎吾の姿があった。
ちょっとブラックで、何考えてるか分からなくて、でも抜群に面白くて格好いい、子どもの頃からの大スター。

あれほどまでに心を動かされた私達なんて追いて、当たり前に走っていく。
彼らの住む世界の「明日」は、きっとずっと速い速度で訪れる。

少しだけ寂しく思い、心からホッとしてテレビを消した。

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(後日)
いいとも終了から数日後に書いた感傷たっぷりの文章。
香取慎吾って言いすぎw
スマスマ毎週録画の名残でグランドフィナーレ録画できてたんですけど
何か見返せないなぁ。
昼で終わった方がすっきりしてていいのにーと思ってたんですが、いやぁ見事なグランドフィナーレでしたね!
ついったでも書いたけど最近テレビ見て泣きすぎている。
フィギュアといいいいともといい。自分のミーハーさに呆れますわ…テレビ最高おお!!