フレディみたいにずっと叫んでいたいの

どうも私です。

関ジャニ∞さんの『喝采』が素晴らしい、という話をするためにSMAP×イエモン以来に帰ってきました。6年ぶりですって。まじかよ。

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初めて「喝采ってシングルが出るよ!」と公式ちゃんからお知らせが来たときは「長渕剛みたいな渋いやつでは…?」と怯えましたが(奇跡の人と同義のトラウマ)蓋を開けてみたらめちゃくちゃさわやかな大人の青春ソングだった。

ちょっとストレートすぎるきらいもあるように思ったけど、何度も聞いているうちにとても励まされてしまい、またこのような曲(バンド)がノンタイアップや歌番組で宣伝していないがゆえにあまり売れなかったりして、今後はやめとこう、となると完全に個人的損失なので素晴らしいよ!聞いているかJStorm!(大音量)ということでその好きなところを書き記しておきたいです。

 

  • 好きなところ①PV
  • 好きなところ②大人のこころをくすぐる歌詞

ではいってみよう。

 

好きなところ①PV

ロケーションが最高。

あ、だめだ終わっちゃった。

誰ですか関ジャニ∞さんに「学校でバンドさせましょう。水の張ってないプールで演奏してもらいましょう」と発案した人。

プールにね、ちょっとだけ水を入れるのはプールPV界隈(何それ)のセオリーなんですか?おかげで安田君と丸ちゃんが水を蹴る最高の絵が撮れましたね、おめでとうございます(花束贈呈)。

常々関ジャニ∞さんの魅力の一つに、その“生” の生々しさがあると思っていて。

ままならない現実にアイツはいいよなと嫉妬したり格好悪くもがいたりしながら、それでもいつかは、と這いつくばってきた若者時代。

いいこともわるいことも一緒に経験した仲間との耐え難い別れ。多分いろいろな、こちらからは絶対に見えない喪失を抱えながら、それでも馬鹿をやって笑う姿を茶の間に届け続ける大人としての筋力のようなものがめちゃくちゃ備わった人たち。

そんな人たちが、いろいろあるけど大人だっていつまでたっても青春だよ、というメッセージを体現している。

私は喝采をぜひともプロ野球のテーマ曲にしたかったです。絶対にオジサン層に受けると思うんですよね。

ちなみに関ジャニ∞さんのターゲットの大多数であろう婦女子の皆さんには、軽音の格好いい先輩と私、の妄想が楽しめるため是非ともPV付きの初回特典を購入することをお勧めします。

 

好きなとこ②歌詞

 

やっぱりねぇ、40過ぎてギターを始めた人の歌う「Age is just a number」に説得力しかないんだよねぇ…ということ。

メインギタリスト兼ボーカリストの2人が抜け、残った安田章大さんだけがギターを努めなければならない、かつ彼は歌の要、高音のハモりも担当していて……という状況、関ジャニ∞の父横山さんは、「ヤスが大変そう」と思ってギターを始めたそうです。

 

ヤスが大変そう、と思ってギターを始めたそうです。(大事なので)

 

始められますか?大変そう、でギターを。自分の大変さは度外視かよ。

そういうのを普通に実行してしまうのが、横山裕(41)という人なんですね。

うああああ乾杯!!(ここでまさかの長渕)

 

あと表題にした、「フレディみたいにずっと叫んでいたいの」も私はとても好きで。

いや正直そんなにフレディ世代じゃないしボヘミアンラプソディは観たよ!

 

ボヘミアン・ラプソディ|映画/ブルーレイ・DVD・デジタル配信|20世紀スタジオ公式

くらいの門外漢で、フレディがずっと叫んでいたという体感はなきに等しいんですけど、関ジャニ∞が歌う「フレディみたいにずっと叫んでいたいの」の説得力よ。

 

キャッチーなメロディ、さわやかに抜けていく高音に、心の底から「ああずっと叫んでいてほしいな」と思わせてくれる、そして自分も「叫んでいたいな」と思える。

 

そういういつまでたってもきれいにまとまらない大人の青春を体現する力が、関ジャニ∞には備わっていると思うんです。

できればいつか、テレビを通して生演奏で、たくさんの大人たちに届けてほしいな。

 

それがどうか拍手喝采の未来でありますように。

 

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スマスマSMAP×イエモンを見て

この期に及んで、ってもう何回使ってるかわからないワードなんですけど、この期に及んで、どんだけ格好いいんだ、SMAP

先日イエモン×SMAPを見ました。

やばいんだろうなやばいんだろうなと思ってたけど本当にやばかった。(小並感)

冒頭つよぽんの静謐なまでに美しい佇まいに息を飲んで、

中居さんのエモい歌声に動揺し、
(「汚してしまったスパンコールを集めて 真冬の星空みたいに輝かせよう」って中居さんの哲学っぽいなと思う)

慎吾の「雨の中を傘もささずに走るのは」で胸がぎゅっとなり、
(本当にこの人は今どれだけの雨を全身に被っているんだろうと考えたりして)

そのあとのごろさんの普段と変わらないフラットなキャラメルボイスに癒されたのもつかの間。

拓哉が。

木村拓哉が。

騒動前と何一つ変わらない、もしかしたらさらに強い光を携えた眼で、力強く。

「それでも」

なんて歌うから。

条件反射みたいに泣いていた。

もうあかん。この人の歌詞に命を吹き込ませる力はあかん。このタイミングでバラ色の明日はあかん。吉井さんもアホほど格好いいし。歌良いし。あかん。なんだよイエモンどんだけ優しいのかよ。再結成おめでとうありがとう!!!!脱線した。木村拓哉の、この「それでも」は本当にあかん。

だってこの期に及んで、またこの期に及んでなんて言うけど、及んで、期待してしまう。

期待してしまうよ。たくちん。
何を秘めてるの。その眼と、歌に、何を込めたの。
SMAP、やっぱり解散するなんてちゃんちゃらおかしいよ。
だってこんなに強い。うまくもない歌にこんなにパワーを宿らせる力を見せつけておいて、もう歌わないなんてそんなアホなことないやろ。

「砂漠の荒野に倒れても 長い鎖に縛られても」で香取木村を映すなんてスマスマスタッフさん絶対あきらめてないでしょう。
ずっと爪を食い込ませた拳を掲げてるでしょう。私には分かるんだからね!!(電波)

っておいおいしてたら
つよぽんが、「満たされ」「汚され」「騙され」「心まで奪われ」なんて苦しそうに歌うから。
また吉井さんがすべてを包み込むみたいな自愛に満ちた表情で歌い上げるから、もうやめて、つばめんこのライフはゼロよ!!!!


解散発表から2カ月。
表立っては何も大きな動きがなく、メンバーからの直接的な言葉もなく、
いたずらに過ぎていく時間に、もしかしてこのまま終わるのか…?と考えてしまう時がある。

もちろんその可能性だってある。むしろ世間的にはこのまま終わっていくと思ってる人が大多数だろう。
彼らは満身創痍なのかもしれない。
商品価値は下がり、夢の世界の舞台裏を露出させてしまった罪を背負って(もちろん私は彼らに非はないと思っているけれど)
一人でやっていかなければならない未来が、すぐそこまで来ているのかもしれない。
ファンの叫びも、たくさん買われた花も、たくさんの言葉も、何も彼らを救い上げないかもしれない。
終わってしまうかもしれない、なくなってしまうかもしれない、全部思い出になる日が、来るのかもしれない。




「それでも」。




私はSMAPを、やっぱりどうしても信じてしまうのだ。

だってこの期に及んで(また)あんな眼で曲に命を吹き込ませる人たちを、どうして諦められる?




ARE YOU A BELIEVER?

曲の終わりに吉井さんが、得も言われぬ渋さで歌った。(本当に格好いい死ぬ)




私はSMAPSMAPたる、その純然な事実を信じてる。

SMAP解散について思うこと

1年半ぶりにログインしました。
まさかこんな理由でまたここに来る羽目になろうとは…。

SMAPが解散する、というニュースを見たとき。
今年の1月以降どこかで予測できた事態であったにもかかわらず、鈍器で思いっきり頭を殴られたような感覚に呆然とするしかありませんでした。
当然全然眠れなくて、0歳と2歳、二人の子どもに挟まれて朝までなんどもスマホを枕元に投げては拾い、情報を求めて、投げては拾い、また新しい情報を求めて。

その何か大切な軸を失ったような感覚は、太陽が東から登らず、海から水が引き、時計の針が止まってしまったような、いや、これらのことがたとえ全て起こってもこんな心もとない感覚にはならないだろう、というもので。
当然なのかもしれません。私はSMAPのいない世界を知らない。
物心ついたときから彼らはずっと、テレビの中でいつでも会える唯一無二のスーパースターだったのです。

そのスーパースターがお盆の、深夜の、違和感だらけの文章が綴られた、FAX一枚で消されようとしている。

意味が分かりませんでした。今もわかっていません。わからないことだらけで、一日中スマホを握って右往左往している。
でも少しずつ、はがきなりメールなりSNSなりで何かを発信することが数少ない、今できることの1つだということがぼんやりわかってきた。

私はいわゆるスマオタ、と言われる人間ではありません。
一度コンサートに行き、気に入った曲があれば買うくらいのライトなファンです。
ずっと追っかけられてたわけじゃない。
見逃した番組、聞き逃した発言は腐るほどあるでしょう。
それでも一連の報道に、全身をかきむしりたくなるような違和感を覚えている。
私が今まで見てきたSMAPという人たちと、報道されるSMAPの乖離があまりにひどくて、頭がくらくらする。

実はとても後悔しているんです。
1月の緊急生放送の謝罪。
生気を失った、マリオネットみたいになってしまったSMAPの姿があまりにショックで、「こんなことをさせられるなら事務所をやめてくれたほうがマシだ」と思いました。「こんな姿見たくなかった」とも思いました。
こうなってもまだSMAPを後押ししようとする担当の人たちの熱意が理解できなくて、「もう解放してやれよ」と思わずにはいられなかった。
1月以降、スマスマをはじめSMAPの出演番組はほとんど見ていませんでした。ついったーでタグをつけて一生懸命視聴をアピールしている投稿を見るのも少し苦痛だった。

同時に、きっと何事もなかったようにメリーさんたちに取り込まれて、いつか自分の信じていた姿とは異なるSMAPを見ることになるんだろう、とどこか諦めを感じていました。
それでも、SMAPが続くことをきっとどこかで手放しに信じていた。
解放してやれよ、と思いながら、解放されずにずっとSMAPが続くことをどこかで願っていたんです。

それが先日、深夜の一報で完全に崩れた。

SMAPは2016年で終わる。
私は2017年以降SMAPのない世界を生きていかなければいけない。

嫌だ。

嫌だいやだいやだ嫌だ嫌だいや、絶対に嫌!!!!!!!!!!!!

そのときはじめて、心から思いました。

SMAPやスマオタの人たちが築き上げた世界を享受だけしておいて、自分は大好きなSMAPが変わっていくことを恐れて生活に逃げていた。
なくなるってわかってからもがくだなんて本当に愚か。でもなくなってしまってからではもうもがくこともできない。

SMAPが好きなんです。たくさん助けられたし、笑わせられたし、恰好良さに震えたし、励まされた。
詳しくなんてない。今でも新鮮に驚く、知らないエピソードがたくさんある。こんなんで「ふんばる」なんて言っていいのかな、って躊躇する。
チキンなのでツイッターSMAPのことをつぶやくたび、実はドキドキしている。

それでも、私は私なりに、本気でSMAPが好きなんです。SMAPのいない世界を生きたくない。

今日母に子どもをみてもらって、はがきを買いに行ってきた。
真っ白のはがき。
何を書いてどこに送るかまだ決められていないけど、1月以降のような後悔だけはしたくないから、できそうなことを必死にやってみる。
CDも買う。複数買いなんてほとんどしたことないけど、ちんけな自尊心を抱えて恥ずかしがっている場合ではない。

嫌だ、と言いましたが、本当に、本当にSMAPの皆さんが解散を望むなら、それがベストではないにせよ、彼らがこれから生きていくために最大限良い選択である、というのなら、笑ってあきらめるつもりです。
でも現状、まったくあきらめるための説得力のある材料がない。それがいいのか悪いのかはわかりませんが。

ああ本当にもうやりたくないんだなぁ、やれないんだなぁってわかるまで、ジタバタしてみようと思います。
何よりも2017年の私のために。

ジャニオター母になる

今年の三月に第一子を産み落とし、育児ばっかりしていた2014も終わろうとしています。
ここらで現段階でのスタンスというか、ワタシとムスメと、時々ジャニーズ〜的なことを書いておきたいと思い、ノコノコログインしました。
いつまでもトップが二宮生誕ポエムなのも何だし。ほんとに、何だし。

ついったではなるべく自分のプライベート的なことはつぶやきたくないなと思い、(単純に面白くないからです)相変わらず節操ナニソレオイシーノ的スタンスで諸々つぶやいているのですが、やはり最近は自分の中でトーンダウンしている感は否めません。

自担が娘になったから☆娘に担降りしたんで☆みたいなことを言ってもいいしそれで納得出来そうな気もしたのですがやっぱり違う。顔に乗っかって思いっきりヨダレを垂らしてくれたり、尻に噛り付いてもにっこり笑ってくれたり、娘にもらうファンサはそりゃあ濃密ですけど、やっぱりジャニーズが満たしてくれる部位と娘が満たしてくれる部位は全く別ですわ。当たり前すぎるほど当たり前だけれど。
ちょっと脱線するけど娘が生まれる前、私の友人兼ジャニオタの皆さんは軒並み私に息子が生まれ、ジャニーズっぽい名前をつけてダンス等を習わせることを楽しみにしてくれましたがそういうことじゃないんだよな、と途中で私も気づきました。
例え息子が生まれて何らかのミラクルが起こりジャニーズに入ったとしても、ジャニーズに入ったのは息子であって。
別に自分がジャニーズの何らかを甘受できるわけじゃないんだよな、と思うと急に冷静になりました。子どもの人生と親の人生は全く別物なんだとその時始めて実感を伴って理解出来た気がします。

で、話を戻してジャニーズ熱がトーンダウンしている一因として、単純に自分の時間が全然ないんです。びっくりした。
娘を八時か九時には寝かしつけるのですが、ベビーベッドで寝ず、大人のベッドで添い寝しているため落下防止のためそばにいる必要が出て来ます。
くわえて最近は夜泣きも始まり、私みたいなうんこ人間でも彼女にとっては命綱、目が覚めた時そばにいないとSEKAI NO OWARIのように泣くため、必然的に同じ時間帯に就寝することになります。

ジャニオタ茶の間班はリアルタイム本部からジャニオタ茶の間班録画支部へ。

昼間は昼間でつかまり立ちを覚えた娘がちょっと気を抜くとすぐこけるので見張りを必要とし、録画を消化するのがどんどん遅くなり、感想…今更つぶやくこともなし、ということで己の腹にためることになり、世間どころかインターネッツ界からも取り残され、私は時をかけるジャニオタ…(手にはおむつ)

時々ついったのアカウントも消去して本格的にジャニーズから足を洗おうかなぁと思うこともあるのですが、いよいよ煮詰まった時に画面で歌い踊る彼等にちょっとびっくりするくらい心洗われることもあり(最近ではFNS)、神様、もう少しだけ…というセンチメンタリズムを抱えながら(BGMはルナシー)ジャニオタ茶の間班録画支部肩書きオカンをやっておる次第です。

しかしこの土日はあらしやらエイトやらたきつやら方々でレポが入り乱れて久々に現場行きたくてしぬかと思いましたわ。こんな気持ちはサマソニTOKIO以来だよ!

617の呪縛

今日は二宮和也の31回目のお誕生日です。

私のあらしファンクラブの更新月は6月です。つまり私があらし担になって初めて祝ったのが二宮の誕生日。
お友達2人と、大人になって生まれて初めて行った本人不在の誕生日パーティ。
恥ずかしげもなく「ニノ誕生日おめでとう」と書かれたホールケーキを囲む、うちわと二宮の写真を持った今より少し若い私達。

その時撮った写真は今見ても楽しそうで、なんかちょっと恥ずかしくて、えも言われぬ気持ちにさせられます。

あれから7年。
相葉担と二宮担だった友達はKポップ担になり、結婚し家庭を持って、今はもう6月17日にケーキを買うことはないのでしょう。
私と同様に。

それでも6月に入ると私はどこか落ち着かない幸福感に包まれ、こうして懲りずに文章をしたためてしまいます。

雛鳥が最初に見たものを親だと思い込むように、いつまで経っても二宮やあらしさんは私の中の初めてのアイドルであり、最後のアイドルであり、アイドルの中のアイドルなのです。

変わらないものはそう多くはないからこそ、いつまでも心にこびりついて、大切にしていたくなってしまう。

どんなに環境が変化しても、そんなものは何でもないさ、という飄々とした表情で、いつまでもテレビの中でキーキー叫んでくれていることをとても感謝しています。

会ったことも話したこともない、友人でも知人でも家族でも親族でも同僚でもない、道ですれ違ったことすらない人のことをこんなに大切に思えるんだということを教えてくれたことも。

幸福な呪縛をありがとう。

多分おばさんになっても婆さんになっても、6月17日が来るたびに私はあなたのことを思い出します。

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明日もまた見せてくれるかな〜いいとも終了と慎吾スピーチへの所感〜

「タモさんこれからも、辛かったり苦しかったりしても笑っててもいいかな」

その言葉に間髪入れずに返された肯定の言葉は、問うた人を解放したのだろうか、さらに縛ったのだろうか。

いずれにせよ、メディアで見せた数少ない素の(素に見える)姿で香取慎吾というタレントが行った衝撃的なスピーチの幕引きとして、
そのやりとりはあまりに美しかった。

先日終了した笑っていいともの印象的な最終回については既に多くの人が名文を残していて、私はそれを読みながら何度も涙した。
別に特別いいともが好きだったわけでもないし、タモさんのことは子どもの頃から当たり前に存在するスターとして大好きだけれどもめちゃくちゃ詳しいとか思い入れがあるわけではない。
なのに番組の終了にどうしようもない喪失感と切なさを感じられたのは、出演者の本気の感傷とそれを受けるタモさんのブレのないフラットさが際立ち、ティービーショウしてとても興味深いものに仕上がっていたからではないだろうか。

今更私が何か書く必要など微塵も感じないのだが、テレビにここまで心を動かされたのはいつ以来、もしかして初めてかしら、という具合だったから、
必要性とか意味とか考えずに感じたことを残しておこうと思ったのだ。

ひょっとしたら香取慎吾という人も、私の中でタモさんと同じような場所に位置付けられているかもしれない。
ちょっとブラックで、何考えてるか分からなくて、でも抜群に面白くて格好いい、子どもの頃からの大スター。
大好きだけど、「ジャニオタ」として強く思い入れを持つことは何となくできない人だった。
常々何を考えているか分からない人が好きだと思っている私だが、分からなすぎても踏み込めないようで、香取慎吾はどのジャニーズタレントよりもずっと、確たる四角い箱の世界の生き物だった。

その香取慎吾が、少なくとも私は今まで見たことのない姿をテレビの中で見せた。
早口で、ハッとするような暗い眼をして、怒りすら滲ませて、何故番組が終わるのかと問うた。
びっくりした。いつも気怠い調子で壮大なマンネリの世界の登場人物を演じる彼が、その世界にそこまで執着していたなんて。

「何でも始まれば終わるんだよ」

スマスマでタモさんが言ったごく当たり前の言葉も飲み込めないほど聞き分けの悪い子どものようになってしまった香取慎吾を、
あの日あの時間フジテレビを見ていた人は驚きと感動とともに見つめたのではないか。ジャニオタも、そうじゃない人も、多分。

あれからあの時の香取慎吾を何かに例えたり分析する言葉が沢山インターネット上に溢れた。
この駄文もその一つになるんだろう。
どの言葉も、一度も香取慎吾と会ったことのない、会話を交わしたことのない私の心を動かし、それらはとても的を射た言葉に見えた。
同時に香取慎吾というタレント像が私達一般人にどれほど広く了解されているかを知った。

それらの言葉はどれも正しく、どれも間違っているのかもしれない。

あの数分間の心の叫びを私も含めた見ず知らずの人間に分析・解釈される。
私はたくさんの人たちの言葉に感動しながら、同時に腹も立った。
ほんの一瞬、香取慎吾というスーパースターを、とても哀しい存在だと思ってしまった。

だけどその哀しさなんてとっくの昔に飲み込んで、彼は四角い箱の中の世界で笑顔を見せてきたのだろう。

そういう想像を絶する環境で生きてきた彼を肯定できるのは、きっと限られた存在だけだ。タモさんのような。

余韻を引きずりながら、後日おじゃマップを見た。

当たり前に、見慣れた香取慎吾の姿があった。
ちょっとブラックで、何考えてるか分からなくて、でも抜群に面白くて格好いい、子どもの頃からの大スター。

あれほどまでに心を動かされた私達なんて追いて、当たり前に走っていく。
彼らの住む世界の「明日」は、きっとずっと速い速度で訪れる。

少しだけ寂しく思い、心からホッとしてテレビを消した。

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(後日)
いいとも終了から数日後に書いた感傷たっぷりの文章。
香取慎吾って言いすぎw
スマスマ毎週録画の名残でグランドフィナーレ録画できてたんですけど
何か見返せないなぁ。
昼で終わった方がすっきりしてていいのにーと思ってたんですが、いやぁ見事なグランドフィナーレでしたね!
ついったでも書いたけど最近テレビ見て泣きすぎている。
フィギュアといいいいともといい。自分のミーハーさに呆れますわ…テレビ最高おお!!

さとしが生まれた日。

11月26日をスペシャルデイ認定して何年が経つでしょう。

今年もあっという間にこの日がやってきて、カレンダーに、テレビに、セミナーのレジュメに、様々な場所に4つの数字を見出してニヤニヤ微笑むのです。

さとしが生まれた日。


正月よりも自分の誕生日よりも誰かの命日よりも、特別な意味を持つこの一日は、胸をはってさとし担ですと言えなくなった今もキラキラと輝いて特別なままです。


さとしが生まれてなきゃ今日はせいぜい良い風呂の日止まりだったし、
さとしが生まれてなきゃ私があらしさんを好きになることもなかったし、
さとしが生まれてなきゃ私があらしさんを好きになることもなかったということはつまりジャニーズの楽しさを知ることもなかったし、
さとしが生まれてなきゃ私はこんなに楽しく生きていられた自信がありません。


さとしの父ちゃんと母ちゃんと、33年前頑張って産道を命がけで辿ってきたさとしと、
さとし家のご先祖様、ジャニ―様、あらしの皆様、MADの皆様、原様、やらっち、スタッフの人、事務所の人、マネージャーの人、さとしの友達、恋人、
すべてのジャニーズジュニアにありがとう。(着地点 is Not Found)


7年前卒論書きながらゆーちゅーぶであなたに会ってなかったら得られなかったすべてのものたちに、深く感謝します。