嵐とは何であったか〜うっすらポエム仕様きもいよ〜

最近よく考える。

私が嵐さんを好きになったのは…と語るほど歴史は深くないですが、
大学生で卒論を書いていた頃だったからちょうど花男2の時期だったと思います。
ちっとも進まない卒論に嫌気がさして、覚えたてのようつべでテンションが上がる動画を探していて。
昔実家でたまーに見ていた(シャレにならんくらい真夜中の放送だったため)DだかGだかを(多分D)を思い出して、
検索したのがきっかけでした。
昔から面白いことや人が大好きで、それも教室の端っこ、あまり陽の当らない類の笑いが大好きで
そんな小世界を創り出す男子達がお気に入りだった私には嵐の芸風はドストライクだったのです。

「嵐みたいに面白くなりたい」

と間違ったベクトルでハマって、その年末かなんかのFNSで異常なくらい音を外しながら格好つけて
ラブソーソロを歌いあげる、キラッキラの潤たすの姿に地元の友達三人で「アイドル半端ねぇ!」ってなって。

我々のオタ道は尊敬の念から始まったので(そんな風にとても見えなかったと思いますが「面白さ」は
最重要ファクターだったのだな)、最初は各メンバーのことを「先生」とか呼んでました。
にのみや先生、櫻井先生とか。恥ずっ!

それで「やっぱ担当なるものを決めなくてはならんだろう」と妙なところで真面目さを発揮した
我々は各担当を直感で二宮、あいば、おおのと決めたのでした。
“性格が似ている”という理由で翔さん担にさせられそうにもなったな。
いや全然翔さん大好きですけどそしてずぼらな私は知れば知るほど翔さんには似てなかった訳だが。

timeは一般枠で一人応募、落選したのでドリアラで初現場。
どうやら嵐は実在するらしい、ということを認識した私達はそらーもう怒涛の勢いで嵐オタになっていったのでした。

最初に嵐気になるんだが!!ってなってから四年ですか。
長年オタをやっている人からしたらひよっこ極まりないですが、
それなりに気持ち悪い情熱をもって五人を追っかけてきました。
正直15年くらい経った気がする。

関東と関西、四国在住の三人で月一行う二泊三日不眠不休の嵐会。
24時間偽善テレビではHP削られ過ぎて皆寝込みました。
初めての国立は見事全滅。眠り続けて現実逃避。
その後突然誘うジャムダンスをコピってみたり。
クレイジームーンもやりました。5時間かけて。全身筋肉痛で死にましたけど。
北海道ではまさかのアリーナB。智に釣られるんじゃなくて釣ってみたり。
CM見る度に呟いていた
「これ○○(嵐メン)でやればいいよな。」
「今のなんて虹にぴったり」
「今のは二宮で」
「もうCM全部嵐で良いよ」
(まさか2011年、それに少なからず近い形になろうとは)
和食のさとで「さとしさとし」連呼しながらご飯を食べたり。(もはや公害)
しまいには目を細めれば嵐メンが3Dで浮かぶ仕様に眼球がなったりね。(怖い)


今は
テレビレギュラー→見れたら見る(打率3割)。たまに録画する。飛ばし飛ばし見る。
雑誌→売れとる売れとる。二宮また痩せたんじゃないかね。
映画→ガンツは行こうと思っている(前半見ちゃったし)。怪物は微妙。カルテは笑いたい。
CM→おえっぷ
コン→遠征する金はあるかしら…

といった体たらく。

二宮が言った「変わらない進化」に泣いて、それをずっと見続けていたいと思っていましたが、
どうにも息切れ甚だしい。
所詮アイドル。楽しい楽しい一方通行。
ここらで一旦お休みしようか、なんて。

私には嵐についていくつか夢があるんです。

故郷のちっちぇえ公民館で嵐を見ること。
おっさんになった誰かのディナーショーに行くこと。
(何気に翔さんあたりがリアルかと思っている)
智の結婚式に出ること(これは無理だろう)



でもそのどれもが、時代のポップアイコンと化した嵐さんを応援するにはそぐわないエゴまみれの願いだと分かっている。


トップになりたいと泣きながら言った雅紀の言葉を、私は何年か遅れて知ったのだけれど。そして泣いたのだけど。
思い描いたものに少しでも近づけたと彼らが笑うのであれば、それで良いのかもしれないけど。
哀しいかな、それを知る手だてがございません。


そして表題の件、「嵐とは何であったか」

「これ」という言葉でばーんと書けない自分がもどかしいですけど、
それが分かった日が所謂「担降り」の時かと思っておりまして。


今はまだ、悶々と考え続ける事で、微かな一方通行を続けていたいと思っています。


いやでも客観的に見た嵐は今でも本当に魅力的です。
適度に格好良く面白くなかよし。そら売れるわな。