Face downの二宮がエロい件

カレンダーとかディズニーとか、日々放出されるたきつごとに諸手を上げて万々歳仕切れないお寒い五月、皆様いかがお過ごしでしょうか。
タイトルにそぐわない書き出しで頼りなく始まった本日のダイアリ、何とかタイトルの内容に着地する予定ですのでしばしお付き合いをばいただきたく。

何故私は上記の貴重なお仕事を喜べないのかと考えたとき、全く個人の嗜好で申し訳なんですがそもそもディズニーというものをこう直視できない己の歪んだ性格がございまして。
あの世界って本当煌びやかで真っ直ぐで正しくて、問答無用の光がある。
そこに一ミリの影もないし(もちろんなくて正解なのですが)、歪みも、その歪みを受け入れる余地もない。そもそも歪みという概念自体存在しない。
そういうものが苦手なんだよなぁわたくし、まあ出されたもんは食べれる範囲でおいしくいただくけど、なんてぼんやり考えてたんですね。


そんなある日タモステを見ておりましたらば、今やジャニーズ界のミッキーマウスといっても過言ではない(かどうかはあまりしらんけど)嵐さんがファン投票と新曲を披露しておられました。
私が一等好きだったころより幾分老けた嵐さんがあの頃と似たカメラワークにて収まっており、煌びやかで真っ直ぐで正しくて、問答無用の光の世界を演出されていて、何か懐かしさと二宮の異様なちょけ具合が気になったのもあいまって割としっかり見てたのです。
完璧な多幸感と癒しの空気を放ちながら曲は終わり、ガラっと雰囲気の変わる新曲へ。
黒いTシャツに黒いパンツというシンプルな出で立ちで嵐さんがガシガシ踊ります。


二宮のわかりやすい切り替えが腹立つ(すみません私の二宮に対するスタンスはこんな感じです)
「消してよ 消してよ」の翔さんがそこはかとなく面白い(以下同)
じゅんたすがKPOPの人みたいだぜ
最後の「素顔見せないままエスケープ」の雅紀の表情はあれで正解なのだろうか
安心安全安定のさとし感

とかぼんやり考えてたら曲は終わったんですけど、何かずっと残るものがあって。
それが何かわからないまま何回かリピッてやっと出た答えがタイトルのそれです(やっと帰ってこれたぜ)


光があるところに必ず影が存在するとすれば、その陰影を一番上手に(自らの立ち位置を理解してちょうど良い塩梅で)表現できるのが嵐の中では二宮なのかもしれないと私は思っています。
押しも押されぬ売れっ子になり、年相応のあれこれも身につけ、もはや以前のような刹那感や儚さという意味での魅力が良くも悪くも消えかけている嵐さんの中で(その要素の不在は以前のラブソーと今のラブソーを異なるものにしているような気がします)、まだ何か私を惹きつける陰の要素が彼らに残っているとすれば、それは二宮和也の中にあるのかもしれません。

常々今井君をエロいエロいとアホの一つ覚えのように言わせていただいておりますが、彼のエロスが肉体的、視覚的なエロスであるとすれば、二宮の醸し出すエロスは極めて精神的なエロスであるなぁと思います。(よく分からなくてすみません、私も今若干迷子です)
前者はダイレクトに伝わり、だからこそ言葉にしづらいのですが後者は噛み砕いて噛み砕いて、じわじわと押し寄せるエロス。
そして精神的なエロスは歪みや影や、ともすれば欠点にも見える部分に宿ります。
ミッキーにエロスを感じないのはそこです。(真顔)

初見でさほどピンと来なかった(あくまで私はですが)のは精神的エロスの到達速度の問題かなぁと解釈して、まぁなんていうか今毎日Face downをリピッてますっていうだけの話だったりします。回りくどくてごめん。



追記
完全に後付ですけどなんかあの時二宮足ですか?怪我をしていたいう情報を聞いて、卑小な私は後から完全にロックオンして見てみたんですけどあんま影響を感じなくて。私の二宮に対するエアおかん力、観察眼がないだけかもしれませんけど。
そういうところもグッときつつ、痛みをおしてプロの仕事をする、そういう心情がひそかにあのエロスのスパイスとなっていたのかもしれないなぁと都合よく解釈したりして楽しんでいます。ああアイドルって楽しい。


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